今井のあらまし
今井寺内町は、古くは興福寺の荘園で、中世の環濠集落を母体として発展した街です。室町時代の後期には、この付近に一向宗(浄土真宗)の道場、後の称念寺ができ始め、旧の勢力に何回か焼き払われますが、 天文年間(1532〜55)頃には東・西・南・北の四町がほぼ誕生していたと思われます。
その後、新町・今町が整い文禄検知(1561)頃には現在とほぼ同規模の六町が成立しています。周囲に3間の堀、土居を巡らし入口には九か所の門を構えた武装宗教都市でした。
しかし、天正三年(1575)織田信長に降伏後は、自治都市として南大和最大の商業都市として発展しました。
東西600m、南北310m、約17.4ヘクタールの地区内は、当時、敵の侵入に備えた迷路のような、昔ながらの街区が存在し、道の両側には、慶安3年(1650)の今西家をはじめ、現在も多くの江戸時代、また伝統的な様式をもつ民家が、周囲の環境と相まって軒を接して建ち、平成5年(1993)12月重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
環濠内の9軒の重要文化財と県指定文化財(華いらか)
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今西家(八棟造り)
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豊田家(西の木屋)
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称念寺本堂
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高木家(大東の四条屋)
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今井町並み交流センター華甍 (今井町の各見学資料あります)
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音村家(細九)
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旧米谷家(米忠)
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河合家(上品寺屋)
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中橋家(米彦)
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上田家(壷家)